傍にいる理由 


 自分で言うのもなんだけど、私は特別秀でたものを持っていない。悲しくなるけど。小中高大学と、良くも悪くもない平凡な出来だったと自負しているし、身長もスタイルも全てが普通。彼氏……も、一応出来たことはあるけど私がどうというよりは、学生の時のノリというか。とりあえず彼女が欲しかった男の子の近くにたまたま私がいたから選ばれた。それだけだ。これといって自慢出来るところは逆立ちしたって見つからない。仕事は六年目になるから入ってきた新人の子の教育係を任されるくらいにはこなせるけれど、でもそれって私が凄いわけじゃない。ただ年数を重ねただけだ。
 だから、やっぱり分からないんだ。

「なに先に帰ろうとしてんだ」

 定時で仕事を終わらせ急ぎ足で病院のエントランスを抜けた所で目下の隈が特徴的な背の高い男の人に呼び止められた。
 トラファルガー・ロー。彼はまだ研修があけたばかりなのにも関わらずその腕は確かだと評判も高い。担当の医師が手を怪我してしまい、代わりに任されたオペを成功させてから彼の評判はうなぎ登りで。おまけにこのルックスだ。彼と知り合いになる前から噂はよく耳にしていた。その時はまさかこんな関係になるだなんて予想だにしていなかったから、遠目から見て素敵な人だなと、そうぼんやり思っていただけだったのだけど。

「……トラファルガー先生、お忙しいんじゃないですか?」
 
 そんな彼が何故私のような平々凡々を貫いた女に付きまとうのか。訳を聞いても惚れたからとか、益々現実味のない言葉で返されてしまい。嬉しいより戸惑いが勝って避けてしまっているのが現状だ。
 腕を掴まれて自分の意思に反して足が止まる。俯く私に構わずズルズルと駐車場に連れていかれ反論する前に車に押し込まれる。高級車特有のシートのクッション感が居心地の悪さを助長した。

「待ってろと言ったろ」
「先生は、この後用事があると聞きました」
「……誰に吹き込まれた」
「同僚の子が、トラファルガー先生に話があると。聞いてなかったんですか?」
「……行ってほしいのか」

 慌てて来たのだろう。白衣を着た仕事着のまま、トラファルガー先生は私の真意を探ろうと目の奥を覗き込んだ。目を合わせた状態が気まずくなって、膝に乗せたバッグに視線を落とす。

「私に、トラファルガー先生の行動を制限する理由なんてありませんから」
「だったら、理由をつけちまえばいい」

 ……あ。駄目だ、この先は。

「付き合えばいいだろ、おれと。お前が拒否する意味が分からねェんだが」

 そんな超理論を押し通せるのは世界広しといえどトラファルガー先生くらいのものだろう。はっきり否定の言葉を口にするのも烏滸がましい気がして俯いたまま、ゆっくりと首を横に振った。



 あれから結局押し切られトラファルガー先生と食事をして家まで送り届けられたのがつい先程。携帯がトラファルガー先生からメッセージを受信したことを告げた。たった一言。おやすみの一文。それだけで心臓が痛い。肺の奥が縮こまって息がしずらい。
 最初は、ただの憧れだった。皆がかっこいいと、そう噂をするから興味本位で見ていただけ。それなのにどういうわけか一緒のチームを組むことになって。何度か、言葉を交わすようになって。
 昔付き合った人から言われた言葉がリフレインする。
 ――もうちょっと可愛げのある態度とれねぇの?
 付き合っていた期間はそう長くない。だから未練はない。ただその台詞が、光景が、頭に焼き付いて離れてくれない。もしトラファルガー先生に可愛くねえって思われたら。私はここには居られない。仕事も手につかなくなって、顔を見るのも辛くなって、折角交換した連絡先も自ら消すことになる。そんなのは耐えられそうにない。
 結局私はずるいのだ。憧れが恋に変わって、言葉を交わすほどに愛おしく思えてきて。オペの時の真剣な眼差しも、笑うと片方の口角が上がるところも、意外と可愛らしいものが好きなことも、好き嫌いが多いところさえも。全部全部私だけのものに出来たらと。そんな浅ましい独占欲まで芽生えてきてしまった。
 きっと、トラファルガー先生は初めて好意を告げてくれた時私がどれほど嬉しかったか知らない。それと同時に酷く恐ろしくなった。一緒に過ごす時間が増えるほどに、いつか可愛くねえ女と思われるんじゃないか。付き合ってみたら予想と違ったとか、そんな風に捉えられてしまうんじゃないかとか。ぐるぐる考えてしまって。だから、せめて綺麗な思い出だけ心に残しておきたい。ずるくて弱い私。トラファルガー先生には釣り合わない。



 普段は仕事終わりに会うことが多く、休みの日に会うのはこれが初めてだった。というのも私がそれとなく避けていたのが原因なのだけど。時間をくれといつもと違った雰囲気で迫られどうにも断りきれず、つい首を縦に振ったのが数日前の出来事。
 いかにも高級とでもいいたげなホテルの中にあるレストラン。ここが目的地だったようで無意識に喉を鳴らした。
 普段トラファルガー先生はその見た目に合わずごちゃごちゃした居酒屋を選ぶことが多いから気が引けたのだ。居酒屋を選んでくれるのは気後れしやすい私に気遣ってのことだと解釈していたのだけれど、今日は何かあるのだろうか。いつもと違う空気を纏うトラファルガー先生に何かあったのか聞いてもいいのか分からずただ黙ってその後ろを歩く。
 重厚感のあるエレベーターを降り、レストランに足を踏み入れる。一応事前に聞いていた通り綺麗めなワンピースを着てきたが周りの人と比べるとどうにも浮いて見え落ち着かない。連れてこられたレストランは内装も洗練されていて店内で流れるクラシックに萎縮した。
 右も左も分からず注文を全て任せ料理がくるのを待っていると、それまでほとんど口を効かなかったトラファルガー先生がおもむろにきりだした。
 
「移動、ですか」
「あァ、もっと専門性の高いところにと前々から打診してたのがやっと通ってな」
「そう、ですか……」

 聞いた病院はここから遠く、もうこれまでのように頻繁に会えないのは自明だった。肺が締め付けられて意識をしなければ息が出来そうにない。そっか。もう会えないかもしれないのか。こんな関係がずっと続くわけがないとは分かっていたけれどそれはあまりに唐突で、曖昧な返事をするので精一杯だった。

「だから、おれに理由をくれねェか」
「……それは」

 その先は分かっている。何度も、何度も聞いたもの。

「なァ、お前がおれを拒む理由はなんだ? 何が引っかかってる」
「トラファルガー先生素敵な人だし……。私には勿体ないですよ」
「勿体ないかどうかはおれが決める。それに会う回数が減って、もしお前が彼氏が欲しいとなった時におれが傍にいなくて、たまたま近くにいた奴と付き合うなんて事になったら、死ぬ程後悔する」
「そんなこと」
「完全に脈ナシなのは分かってる。それでも隣にいたいと思って誘ってんだからいいだろ」
「…………」
「いい加減首を縦にふれよ。どうせおれの答えは変わらねェんだ。さっさと折れちまえよ」

 何故、今日に限って仕事帰りにふらっと寄らないようなレストランを選んだのか分かった。これは本当に今日決めないといけないんだ。ここで拒否をしたらどうなるか分からない。でも、いつもみたいに同じ職場で働いて時々帰り道が同じになって食事をして、ということはなくなるんだ。
 トラファルガー先生が促すように私の名前を呼ぶ。もうすっかり耳に馴染んだテノールが鼓膜をくすぐって、夢心地にさせる。バレないように小さく息を吸って吐いた。
 
「……私、トラファルガー先生みたいな人と付き合う自信ないんです」
「…………」
「なにもかも普通で、業績も可もなく不可もなく、って感じで……。それに比べてトラファルガー先生は難しいオペだって成功させて皆から慕われてるじゃないですか。だから、どうしてもトラファルガー先生の隣に立つ自分が想像つかないんです」
「…………つまり、おれ自身に不満があるわけじゃねェんだな?」
「トラファルガー先生に不満なんて持てるわけない、ですよ」
「なァ、その不安の根源はなんだ。少なくともおれはお前のことを平凡だとも業績が普通だとも思ったことはねェ」
「…………」
「大体な、チームにお前を引き込んだのはおれだ」
「え」

 思いがけない台詞に反射的に顔を上げる。トラファルガー先生と視線がかち合った。

「嫌味を言われても表情にはおくびにも出さねェで周りにも気を使わせる隙も与えず与えられた仕事はきっちりこなす所を見てきた。自分の目の前の仕事だけじゃねェ、周りの空気とか全部ひっくるめて円滑に業務がまわるように動いてんのも見てりゃ分かる。そんなお前だから引き入れたんだ」
「……そんなふうに言っていただけたの初めてです」
「お前といると仕事がしやすい。今回の移動も希望すりゃ一人くらいは引き抜いていいことになってる」
「それって」
「勘違いするなよ。仕事だけが理由でおれはお前を口説いてるわけじゃねェ。お前自身に傍にいて欲しいと思ってる。だから決めろ」

 このまま今の病院にいるか。おれと来るか。

 平凡な女だと自負していた。だから昔付き合った人に可愛げがないと言われても受け入れるしかなかった。自分に意見ができるほど秀でたものがないと思い込んでいたから。秀でたものを持っている人が羨ましくて憧れだった。
 トラファルガー先生の真剣な表情が嘘でないと語ってくれる。憧れの人が平凡な私の働きぶりを認めてくれて傍にいたいと言ってくれることがどれほど私の糧になるか。
 不安だったけれどトラファルガー先生が良いと言ってくれたなら大丈夫なんじゃないかと思えてきた。
 先を促すわけでもなくただ黙って私が気持ちの整理をつけるのを待ってくれる優しさがくすぐったい。こちらを見つめるトラファルガー先生に応えたい。恋愛だけじゃなく、仕事でも支えたい。
 勇気を振り絞って私なりの着いていく理由を告げるとトラファルガー先生は遅せェと文句を言いつつ、私が愛しくて思って仕方がない、片方の口角をあげた笑みを見せてくれた。


prev / next
[back]
×